沿革

 

社章の由来について

ピラミッドは、日本の巨大古墳を遡ること3000年、いまもエジプトの砂漠にそびえ立つ、人類が残した最古の記念碑です。スフィンクスは、その不滅の金字塔を守るかのように鎮座する人頭獅身の石像で、謎と矛盾に満ちた不思議な「人間」の象徴です。この「スフィンクスとピラミッド」の社章は、もっぱら人間の文化と歴史の出版を志すものの指標として、1949年(昭和24年)に再発足の時から使用しています。
世界史を含めた歴史全般の出版活動から、現在では主に日本史が専門の出版(国史大辞典、国史大系、人物叢書、歴史文化ライブラリー、日本史年表・地図など)を行なっており、社章のイメージも従来の性格から若干の違和を感じますが、明治創業の精神とは一脈相通ずるところがあり、これからもこの社章を大切にしていきたいと考えています。


1857年 (安政4) 創業者吉川半七が19歳で主家玉養堂(若林屋喜兵衛、日本橋かきがら町)から独立自営を許されて書物の仲買を始める。
1863年 (文久3) 半七は長姉の婚家の近江屋嘉兵衛(貸本屋、吉川氏)を継ぎ、近江屋半七(通称・近半)として勉勵。1864年(元治元)江戸・京坂を往来して書籍の交易を行う。
1870年 (明治3) 京橋南伝馬町(現在の中央区京橋1丁目)の表通りに新店舗(吉川書房)を開く。扱う書物は、新時代の要望にこたえ、和漢書のほか、福沢諭吉・中村正直等の西洋文化の翻訳類も多く取揃え、とくに上方版の常備販売は他店の追随を許さぬものであった。
1872年 (明治5) 吉川書房の階上に「貸本屋」の大革新を試み、有料(1時間半銭)の書物展覧所を設け、広く内外の書籍を集めて展覧し、「来読貸観所」と称した。大槻如電は「日本における図書館の濫觴なり」と賞讃した(明治9年11月火災により閉鎖)。
1877年 (明治10) この頃より出版を兼業。はじめ「文玉圃」「近江屋」等の号も用いたが、多くは「吉川半七」の個人名をもって発行所とした。
1879年 (明治12)

内閣書記官、岡三橋(守節・書家)等の推挙により宮内省御用書肆となり、「萬葉集古義」「幼学綱要」「婦女鑑」等、多数の宮内省蔵版の出版を命ぜられる。
 
岡三橋の書「得失一時 栄辱千載」(小社蔵)

1887年 (明治20) この前後より時代の趨勢に鑑み、出版専業に転じ、もっぱら学術書の出版に従事する。 
1900年 (明治33) 「弘文館」の商号を建て、大部な叢書類の発行や、予約出版を行う。
1902年 (明治35) 12月、初代・吉川半七死去(63歳)。
1904年 (明治37) 合資会社「吉川弘文館」を設立する(資本金は10万円)。
1905年 (明治38) 国書刊行会の編輯所を吉川弘文館倉庫の2階に置き、同年より刊行会本(全8期、57部、260冊)を1922年(大正11)まで刊行する。
1923年 (大正12) 関東大震災により全焼。一切の資材・資料を失う。合資会社も解散。
1929年 (昭和4) 『新訂増補国史大系』の刊行を開始する。
1943年 (昭和18) 太平洋戦争中の「出版事業令」により企業合同を行い一時事業を休止する。この年までに、国史大系  58冊を刊行する。
1945年 (昭和20) 一旦、正式に事業を清算する。
1949年 (昭和24) ー新しい出発ー 吉川圭三他3人が出資、新生「株式会社吉川弘文館」として再発足し、現在に至る。
1958年 (昭和33) 『人物叢書』刊行開始(高柳光寿著『明智光秀』)。1963年100冊(坂本太郎著『菅原道真』)達成(第11回菊池寛賞受賞)。1990年200冊(佐伯有清著『円珍』)、2020年300冊(藤井讓治著『徳川家康』)を達成。続刊中。
1963年 (昭和38) 『日本歴史叢書』刊行開始。続刊中。
1964年 (昭和39) 『新訂増補国史大系』全60巻(66冊)が完成。(朝日賞受賞)
1965年 (昭和40) 『国史大辞典』の編集に着手。
1968年 (昭和43) 『明治天皇紀』刊行開始。1977年(昭和52)全13巻が完結。
1996年 (平成8) 『歴史文化ライブラリー』刊行開始。続刊中。
1997年 (平成9) 『国史大辞典』全15巻(17冊)が完結。(第45回菊池寛賞受賞)
2007年 (平成19) 『現代語訳 吾妻鏡』刊行開始。2016年(平成28)全16巻+別巻が完結。(第70回毎日出版文化賞受賞)

以上、小社は創業以来、人類誕生から現在に至るあらゆる分野の歴史・文化にかかわる出版を中心に歩んでまいりました。今後も読書界の要望・期待に応えるべく、良書及び魅力ある出版を目指してまいります。どうぞよろしくご支援・ご鞭撻の程願い上げます。