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『日本近代の歴史』刊行記念対談(2/3頁)

PR誌本郷第126号収録
『日本近代の歴史』刊行記念対談

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 政治史研究の論点

 源川 このシリーズは政治史を軸として近代を描いていくという共通した書き方があります。政治史研究というのは方法が確立していて、ある意味では史料があれば新しいことが書ける。とりわけ個々の政局を明らかにしていく研究は、いろいろな形で発表されているわけです。

――そうですね。

 源川 そうした研究の成果を蓄積していくことは重要なのですが、ではその時代を全体としてどう考えるか、どう見ていくかということを考える必要があると思います。論文を書くさいには、その時代の支配的な政治史の枠組みに寄り添って書いていると思うんですけど、あまりふだんはそういうことを意識できないような状況があるのではないかと思うんです。しかし政治史をどう見るかという枠組みについて考えることは大事だと思います。政局をめぐる個々の事実についてはどんどん明らかになってきますけど、全体として政治史をどう見るかという枠組みはすごくゆっくり変わっています。
 その点で、政治史、とりわけ近代の前半ということでいくつか論点をあげたい。1つは自由民権から帝国憲法発布、そして初期議会ぐらいまでの政治史は、これは大日方さんの専門で、30年前、つまり民権運動の研究がすごく隆盛を見せていたころと、現在の民権研究というのがどういうふうに変わってきたのかということについて、お考えをお聞きできればと思います。

 大日方 これは結構、頭の痛い問題です(笑)。自由民権運動と明治国家の対抗関係を描いてきたのが、1980年代くらいまで、「民権100年」記念のあたりまでの研究です。戦後歴史学の展開の中では、自由民権運動の時期というのは、明治政府は抑圧的で、それに対して民権運動がたたかったという構造でとらえてきたわけです。それは現在も、民権運動研究の流れとしては引き継がれているのですが、他方で1980年代あたりから芽生え、90年代に専らになったのが「国民国家」という観点でこの時期を捉えようとする議論です。民権運動も明治政府側も基本的に「国民国家」づくりという点で共通しており、その結果、「国民」は体制化していくといったのです。ある言い方からすると、自由民権運動があったからこそ明治政府は安定的な基盤をつくることができ、それをベースに対外膨張へと展開できたのだという話になります。
 「国民国家」論には、「国家」を「国民」との関係から議論していくという特徴があります。今回はこれをもう1回考え直そうということで、「国民国家」という言葉はあえて使わず、「主権国家」という観点からとらえかえしてみようとしました。国民と国家という1国単位の枠組ではなく、世界に配置されている国家・地域は、国際法的なレベルで議論した場合には、同じ国家・地域ではなくて重層的な、3重の構造になっている。そうすると少なくとも主権とは何なのかが問題となります。対外的主権の問題と対内的主権の問題をどう見るのかということを議論しないと、国家は国家として存在できないのです。
 それから単純に国民と言っていいのかどうかという問題もあります。即明治前期から国民国家だというのはたぶん誤りですし、天皇制の問題もあります。国民は果たして国民たり得たのかという議論が残ります。

――むつかしい問題ですね。

 大日方 そこで、もう1回そこを仕切り直ししようと考えたのです。自由民権運動の時期の政治史的な再構築という点で、外からすれば外交、対外関係、中では主権という問題がどう議論されていくのか。条約改正等をめぐる問題とか、対欧米関係として展開していく過程と、それから主権回復のプロセスが東アジアにおける主権はく奪の過程と連動するという問題とを統一的に捉えていったときに、「主権国家」ないし「国民国家」には2重性があるわけです。ヨーロッパもそうで、自国で主権を確立するけれども他者を抑圧するという仕組みとなります。イギリスやフランスは自由の祖国ですが、逆に言えば帝国主義の祖国でもあるという構造になるので、この2面性を見る必要があります。その意味で、日本が特殊ではない。こうした事態を単純化しないで見ていったほうがいいというのが1つです。
 他方で、国内的に言うと、主権を誰が握るのか。天皇ないし官僚、藩閥勢力と、政党ないし国民という関係の中で、主権の担い手をめぐる対抗があることを抜きにしてしまうと、基本的に国家をめぐる議論たり得なくなるわけです。国民化されただけでは国家たり得ないので、そこを明らかにしたい。
 源川さんは第6巻のプロローグで、通史の書き方には時代が反映しているとふれています。ちょうど去年の5月ぐらいにこの巻を書いていて、その時期からあらためて考えてみると、現在、われわれがどういう時代状況の中でこうした問題を考えているのかということを問いかける必要があると思います。現代における主権の問題を、国内的な主権の問題を含めながら、あらためて近代を見直してみたいと考えています。そういう問いかけをしてみたいという思いがあって、いったん執筆した後で原稿にいろいろ手を入れてきました。
 その点で今、政治を身近なものにする必要がある。一時期ずっと政治史が嫌われて、社会史とか文化史のほうに関心が流れました。しかし、そこであらためて政治史とは何なのかということでこれを再構築し、政治を身近なものに感じることができるような、そういう試みが必要だと考えています。
 第1巻の奥田さんがお書きになったところは、まさに問いかけとして、近世の閉鎖的な政治システムがどう変わっていくのかという、国家意思の決定のされ方を問題にしているわけです。ですから近世的な意思決定システムという、非常に閉鎖的な、将軍、譜代・門閥の政治のあり方がいかに変えられていくのかという点で、近代国家、近代日本の政治運営のシステムがどう展開していくのかという、初発の動向が解明されています。
 第1巻ではその産みの苦しみというか、当局者側の諸構想が出てきて、さまざまなことが展開していく。それが第2巻のところで、実際に当局側の有司専制体制と、自由民権運動が掲げる議会制、立憲制というものが議論されながら、双方がかなりからまって展開をしていく。そして第3巻の時期に実際の運営システムの中でこれがどう機能していくのかという流れになります。基本的には政治権力と国民の同意調達システムがどう機能していくのかという点での政党や議会制、あるいは内閣ということをもう1回整理し直す作業になるのではないかという気がします。つまり立憲主義および政治運営システムの再検討というようなことになるのかな思います。

 源川 そういう意味で言うと、明治中後期から大正期の政治史も非常に研究の蓄積が多くなっています。飯塚さんと櫻井さんはその分野の政治史の研究をリードされている方ですが、とりわけ中央の政局という点だけではなくて地方政治に踏み込んで、政治構造というのを描く。このお2人は政局や外交だけではなくて、政治の基底のようなものを研究されている方なので、そういう点での研究成果というのが非常に生きている。その意味で、政治を表面だけではなくて構造的に捉えていくという、われわれが考えているこのシリーズのコンセプトにとっても、非常に大きな意味があったのではないかと思っています。

 大日方 構造的に政治を捉えた場合、やはり中央政治の政局史ではなくて、地方、地域の分野が見えないと、描けないですね。

 源川 櫻井さんは東京の研究をされて、外交もできるし、それを踏まえた上で政治史を書く。その点でこれまでの研究の成果の部分を生かしていただいているような形です。
 飯塚さんは、議会制の発足から対外硬運動、対外硬派の運動の地域的な基盤について実証的に研究されています。そういう外に向かっていくようなナショナリズムの力を地方から考えるという視点によって、外交や中央政治を書く場合も、非常に奥の深い議論をしていただけたのではないかと思います。

 大日方 これはおもしろい。櫻井さんは東京で、飯塚さんは京都でと、足場はそれぞれ東西に置きながらということになる。都市民衆や商工業者の利害が政治にどのように反映されているかということを対象にしている。かつ政治、政党等についてそれぞれ研究されているから、そういう点では非常に構造的ですね。

 源川 戻りますけど、外交史、戦争史については、さきほどふれた世界史のなかの日本近代という視点が重要ですが、戦争史の最近の研究成果をふまえて書いていただいているということが、このシリーズの非常に大きなメリットだと思っています。日清戦争、あるいは台湾征服戦争、日露戦争、そして植民地支配ですよね。それぞれ専門性を生かして最近の成果とご自分の研究の内容をうまく反映させて書いている。ところで、外交史、戦争史、特に日清戦争からその後、戦争史を通史的に叙述するというのは教科書を書かれるときに非常に苦労されると思うのですが、そのあたり、大日方さんに教科書執筆の苦労を聞かせていただけますか。

 大日方 結局、戦局、戦闘の歴史になってしまうと、これは悪く言えばオタク的な形になって、ある種、勝ったか負けたかとか、どうやってやったかという話になってしまう。ですから教科書ではあまりそういうことはやらないのです。基本的に、なぜ戦争を起こしたのか、誰が起こしたかというような戦争の要因とか、背景とか、特に近年ですと戦争指導者だけではなくて民衆とか相手側の視点などを組み込みながら見ようということです。ですから、その点で日清戦争などの最近の研究では、かなり社会史的な視点を含めて展開されていますし、日露戦争も民衆視点からどう見るのかということで、単純に戦場における戦闘ではない形で展開されているというのが大きな特徴だと思います。
 その結果、教科書でも戦争の始めと、戦争が終わった後どうなるかにかなりウェイトが置かれます。戦争中については簡単に戦局を押さえながら、それに対して兵士とか住民がどう関与していったのかということが比較的記述の中心になります。今回のシリーズもそういう形で対応できるのかなという気がします。
 ただ、ここでも厄介なのは、日本史というふうに一応区切るとすると、相手側の記述をどこまで入れるのかということが結構難しい問題になります。これは私が担当したところで言っても、いろいろな軍事衝突事件があって、それをめぐって日本史ないしは日本近代史として描く部分と、朝鮮とか中国の動向をどう連動させていくかというのは、分量や叙述方法の問題としては非常に悩ましいところです。でもそれを入れないと、実際は戦争の構図が見えてこないとも言えます。この点で近年の中国史や朝鮮史の成果を参酌して入れていくことは不可欠だと思います。

 源川 辛亥革命後の日本の中国に対するさまざまな外交的な工作などについては櫻井さんの専門領域です。ですから大正期の日中関係についても、これまでの通史以上に描いていただいているような気がします。

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