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『天皇の美術史』刊行記念鼎談(2/3頁)

PR誌本郷第127号収録
『天皇の美術史』刊行記念鼎談

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 橋本 現在の日本美術ブームの中で、核になっているのは伊藤若冲ですが、その中でも最も愛され、人気の高いコレクションが御(ぎよ)物(ぶつ)の中にあるのも面白いですね。

 五十嵐 若冲は私が担当する第5巻の時代なのですが、出てきません(笑)。というのは、5巻は御所障壁画に注目したからです。御所障壁画は江戸在住の狩野一門が描くことになっていました。ところが1788年の天明の大火で御所が焼失し、それが変わります。御所再建は幕府の仕事だったのですが、その頃の幕府はお金がなかった。そこで御所障壁画制作を京都在住の絵師たちに任せたわけです。安くあがるからです。その際、土佐家と鶴沢家に京都在住の絵師たちをまとめさせた。その結果、土佐家と鶴沢家が注目される。京都の人名録である『平安人物志』では、天明の大火以前の序列トップは応挙、2番目は若冲です。ところが、天明の大火以降は土佐と鶴沢が最上位、それ以外の絵師がその下のランクになるんですよね。

 髙岸 面白いですね。

 五十嵐 18世紀後半、確かに応挙や若冲は、天明の大火以前の京都で大変な人気があった。ところが天明の大火で、新たな絵師の序列ができてしまう。それが京都の絵師たちの活動を、つまらなくしたのかもしれませんね。

 髙岸 つまらなくなったというと買ってもらえなくなるので(笑)。

 五十嵐 そうですね。言葉を選ばないといけないですね。

 髙岸 辻惟雄先生が「奇想の画家たち」を再評価し発掘した。発掘したということは埋めた人がいるわけで。

 橋本 埋まっていた状況があるわけだ。

 髙岸 その状況は、今までほとんど語られてこなかったわけです。掘り起こした人を評価すると同時になぜ埋まっていたのかを見れば、掘り起こしたことの価値も、もっと上がってくる。

 橋本 同じような事例は、文化の別の領域でもあったのでしょうか。秩序の回復といったらいいのか、ある自由な状況が、そうではない状況に移行する、ということが。

 五十嵐 ほかの文化はどうでしょうか。ただ、天明の大火は京都の大事件だったように思います。それまでの比較的自由だった状況を変える契機だったのではないでしょうか。

 髙岸 そうすると、今は天明の大火以後みたいな状況になっているのか…。

 五十嵐 ついでに言うと御所障壁画を描く絵師は登録制だったんですよね。絵師は登録業者。だから、今の公共工事のやり方と御所障壁画を描く絵師の選ばれ方というのはよく似ているんです。

 

天皇と美術

――各巻の内容、見どころについてお聞かせ下さい。まずは第1巻から。

 橋本 毎年この時期に奈良博で正倉院展が開かれていますが、天皇による文物のコレクションの始まりはあの頃からですね。

 五十嵐 後白河法皇がものを集めてきたことと、正倉院でものを集めたことを第1巻を担当した増記さんがなぞらえて論じているんですよね。そういう視点はものすごく面白いと思います。

 橋本 聖武天皇の妻の光明皇后が正倉院にコレクションを残した。そこには、例えば中華皇帝のコレクションを意識するような部分はあったのでしょうか。

 髙岸 少なくとも後白河の時代、北宋の徽宗の美術コレクションというのは、すでに日本で認識されています。

 橋本 憧れの対象になっているんですね。

 髙岸 第1巻でかなり明確になっていると思います。中華皇帝のコレクションと、権力とを直結させるような考え方は、古代国家の中で重要な役割を果たしていた、ということになっています。

 五十嵐 第1巻は扱う時代がすごく長い。よくまとめてくれたなという感じです。

 橋本 平安末の院政まで入っている。

 髙岸 実は鎌倉まで入っているんです。

 橋本 第1巻と第2巻は微妙に重なり合っているようですね。

 五十嵐 個性の強い天皇が出てくるので重なってしまうんです。

 髙岸 第1巻から第3巻までの要になっているのは後白河で。

 橋本 3冊共に出てくるのですね。

 髙岸 後白河の大仏開眼供養。源平合戦で焼けた後の大仏開眼で、最初の開眼のときに使った筆を正倉院から持ってきて、そこでちゃんとループするんだと。

 五十嵐 面白い点に注目したなあ、と思いました。

 橋本 完璧なページェントですね。

 髙岸 続く伊藤大輔さん担当の第2巻はシリーズで最初に刊行されるのですが、これがまた濃い1冊で。

 五十嵐 加須屋誠さんが、そのまま単行本になりそうな原稿を書いてくださった。ページ数は大幅にオーバーでしたが、全部もらわなければ損だと皆で判断しました。

 橋本 後白河・後鳥羽・後醍醐がいて、もうお腹いっぱいという感じで。

 髙岸 橋本さんからみても、14世紀はすごく印象の薄い時代というか…。

 橋本 美術の通史だと、南北朝はさらっとスルーされちゃうんですよね。

 髙岸 これまでの研究はいくつか山があって、その山から谷を埋めていくというやり方できてるから、仏教美術だと平安、鎌倉がひとつの山、次の山は桃山あたりの近世絵画。谷底の日陰になっていたのが14世紀。だから、鎌倉時代の絵巻・彫刻・仏画で、よくわからないものは全部14世紀に放り込んできたわけです。

 五十嵐 ところが、頼朝の神護寺3像の。

 髙岸 そう、あれで状況が変わったんですね。伝頼朝像が14世紀のちょうど真ん中だという話になって。

 橋本 あれは何年でしたっけ。

 髙岸 1345年が最初の2幅です。後のもう1幅が51年ごろですから本当に真ん中なんです。今まではほとんど注目されていない、分からないものを放り込んでおくブラックボックスみたいな。

 五十嵐 そう、ブラックボックスですね。

 髙岸 そういうところが14世紀だったのですが、後醍醐という強烈な帝王がいて、そのブラックボックスを後醍醐中心に見直すと、実は大変豊かな場所だと。僕は若冲の発見に匹敵すると思っているんです。辻先生の『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫)で18世紀が面白いと分かったとすれば、今回の第2巻で「南北朝、実はすごいよ」ということが、日本美術史でほぼ初めて分かったのではないかと思います。

 橋本 歴史の分野での南北朝、後醍醐ブームは昔からありましたよね。なぜそれが美術史に反映されなかったのでしょう。網野善彦さんのようなトリックスターがいなかったから?

 髙岸 文学でも『太平記』の研究はすごく盛んで、歴史では常にホットであり続けている14世紀が、美術史で注目されてこなかった理由というのは…。

 五十嵐 柱になる作品がなかったところに頼朝像が出てきたからではないでしょうか。

 橋本 やっと拠りどころになる、足掛かりになる作品が見つかった。

 髙岸 このインパクトはかなり大きいですよね。

 五十嵐 そんな第2巻が、最初の刊行というわけです。

 

次頁へ続く

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