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『日本メディア史年表』刊行記念対談(1/3頁) 『本郷』第134号収録

PR誌本郷第134号収録
『日本メディア史年表』刊行記念対談

メディア史の切り拓くもの

土屋礼子先生 成田龍一先生
土屋礼子 つちや れいこ
1958年、長野県に生まれ。一橋大学大学院博士課程修了、博士(社会学)
現在 早稲田大学政治経済学術院教授
主要編著書=『対日宣伝ビラが語る太平洋戦争』、『近代日本メディア人物誌:ジャーナリスト編』など多数
成田龍一 なりた りゅういち
1951年、大阪府生まれ。早稲田大学大学院文学研究科(日本史専攻)博士課程修了、文学博士
現在 日本女子大学人間社会学部教授
主要著書=『「故郷」という物語(ニューヒストリー近代日本2)』、『「戦後」はいかに語られるか』など多数

 

 本書のなりたち

 ――本日は、『日本メディア史年表』の刊行(昨年一二月)を機に、成田龍一先生と編者の土屋礼子先生にご出席いただきました。まずは本書のなりたちについて、お話しいただきたいと思います。

 土屋 最初に、この『日本メディア史年表』というものをつくりましょうという話をいただいたときに、どういうふうに考えるかということでしたが、放送史・新聞史など、各個別のメディアの歴史というものは書かれてきていますし、年表の形でまとめられているものもある。しかし、それを横断した形でのメディア史というものはあまりないのではないかという話になって、編集にとりかかりました。
 それはマスメディア、つまりテレビとか新聞だけではなく、郵便、通信、あるいは電話、ビラ、看板、レコードといったマイナーなメディアも含め、さらには最近のパソコン、テレビゲーム、SNSなどまでも含んだ、すべて人間の生活に関わるようなメディアのあり方が考えられるような年表がつくれたら面白いだろうなと思って、始めてみたということです。

 成田 なるほど。この年表は「史上初めてのもの」と土屋さんは言われています。そのことを示すように、近現代の全体を対象時期とし、取り上げるテーマ設定も非常に多岐にわたっていますね。

 土屋 どこから始めるかということも大きな問題だったのですが、最終的には一八三七年から二〇一五年ということで、一八〇年間という膨大な長さになりました。
 まず、始めるに当たっては、メディア史というのは近代史と重なっていると同時に、近代を導いてきた部分がメディアにもあるので、いきなり明治維新ではなく、その前から始めるべきだろうと考えました。特に私は新聞の研究をやっていることもあって、阿片戦争の前後ぐらいから、西欧諸国が新しい活版印刷技術をアジアに持ってきて新聞・雑誌をつくったという、その辺りから始めないといけないと思いました。
 そこにもう一つのテーマがあるのです。本の題名は『日本メディア史年表』となっていますが、日本を中心とした、なるべくアジアの広がりを展望できる年表をつくりたいと思ったのです。中身を読んでいただくと、九割以上日本のメディアの話なので、「日本メディア史年表」ということで実体はそのとおりなのですが、気持ちとしては、例えば、日本人が海外に出ていった地域とか、日本に輸入されてきたメディアとか、日本に影響を与えた、あるいはかつての大日本帝国が植民地や占領地として影響を与えた部分、その中で、メディアでつながっている部分もなるべく入れようという趣旨で編集を試みました。

 成田 私は、大学で社会学を学ぶ学生たちに接していますが、メディアは学生たちにとって非常に人気のあるテーマのひとつです。しかし、メディアと言ったとき、新聞、雑誌はもちろんのこと、放送、郵便、通信、ビラまで目を配るといわれましたが、なにをメディアとして扱うかによって、内容が変わってくる――いってみれば、領域が方法を規定するところがありますね。そして、その方法がさらに、領域の設定によって動いていきます。そうしたなか、メディアに関わる歴史的な事項を集めていこうというのは、重要かつ壮大な試みだと思います。
 「近代」と「日本」という二つの焦点を持ちながらこの年表をつくられたといわれましたが、モールスが電信機を発明した一八三七年が最初の記述事項となっています。空間を超える通信を重視し、入り口にしてのメディアの把握で、通信が近代を切り開き、日本という領域を作り上げるという認識がうかがえます。一八三七年は同時に、ダゲレオ式の写真が発明された年でもありますね。

 土屋 そうですね。

 成田 写真は、時間と空間を超えていくメディアですが、通信とともに一九世紀の中葉に出現したことは、「近代」のメディアの性格をよく示していると思います。

 テクノロジーの進化

 土屋 いま通信と写真の話が出ましたが、メディアの範囲がどこまでかというのが一つの大きな問題でした。つまり私たちがメディアだと考えているものをなぜ「メディア」という範囲で括って呼ぶかということ。それはいろいろなマスメディアの総称であるとも言えるのですが、私は人間のコミュニケーションとテクノロジーが交差する部分がメディア史研究の対象だと思っています。
 テクノロジー、すなわち技術がどの範囲を指し示すのかというのも議論になる部分ですが、コミュニケーション史の中では、ラスコーの壁画とか、文字の発明とか、何千何万年前のところまで遡るという教科書がよくあります。私はそういう考え方もあるとは思いますが、どちらかというと現代社会の直接の起源はもう少し最近の電気テクノロジー、+あるいは科学的なテクノロジーであり、それが産業化につながるテクノロジーの部分に焦点を当てるべきだろうというのが、私の根本的な考え方で、そこがメディア史の独特な領域だろうと思います。
 この近現代の約二〇〇年の間にテクノロジーがどんどん進化して、それによって人間社会の結合やグループのあり方が変わる。コミュニケーションのあり方と組織の仕方が変わってくる。そういうところが注目すべきところであるし、固有の領域ではないかと思っています。

 成田 まったく同感です。コミュニケーション論一般ではなく、メディア史と言ったときに、テクノロジーの問題を無視することはできないですね。テクノロジーを踏まえ、どのようなコミュニケーションが拓かれ、可能になったのかということを考えていくことが、メディア史を論じるときの立ち位置であるだろうと思います。
 そのときに重要なのは、テクノロジーが、今までの思考や記憶の作法、さらには世界観、人間観を変えていくということでしょう。つまり、人間と人間の関係をテクノロジー、技術が変えていく面があるということ。
 二つ目は、そうであるがゆえに、新しいテクノロジーの出現によって、あっという間に前のテクノロジーによって培われていた思考や考え方、観点のあり方が変わってしまう、いや、忘れ去られてしまうということがあると思います。例えば携帯電話一つをとってみても、携帯電話が出てきて、それが当たり前になると、それ以前にどういうやり方で電話していたであろうか、また、そもそも人に連絡をするときに、いかなる方法を取っていただろうかということが忘れられてしまう。
 そのような、いってみれば「上書き」の作用が、テクノロジーを踏まえたときに議論になってきます。となると、メディア史が持っている役割と位置と方向は、かなり重要なものとなってきます。

 土屋 いま方法の話が出たのですが、方法はすごく難しい。方法はまだ開発中だと私は思っています。

 成田 メディア史の方法の困難さ、ということですね。

 土屋 メディア史研究の方法ですね。まだ手探りでやっている。この『メディア史年表』というのはその材料であるとも思っています。つまり、メディア史全般の、テレビにも、新聞にも、SNSにも共通する方法がどれだけあるかというと、それは恐らくコミュニケーション論が論じてきた一般的な理論などを大きく飛び越えるものは、とりあえず今のところはないのではないかと私は思っています。
 方法はそれぞれ個別の分野で考えていくところからしか出てこないのではないかと思っていますが、一方で、前時代のテクノロジーが持っていたある種の組織的な力とか、コミュニケーションに関わる思考、思想を含んだある種の文化、それが陳腐化して、そして忘れ去られるという過程と、新しいものが興隆し、広まって産業化する、その過程をどうやって一般化して考え得るか、あるいは理論化できるか。そして、それを方法として分析し得るか。それはまだ確立されていないのではないかと私は思っています。

 成田 土屋さんがいわれたことは、別の言い方をすると、メディア論とメディア史の関係に関わってくると思います。冒頭に申しましたが、何をメディアと考えるかによってメディア論の内容が変わってくるなか、メディア史も定義によって、当然その姿を変えてきます。
 大きな時間的な流れで言うと、本年表は写真と通信を入り口にしていますが、一般的にはここに新聞、雑誌が加わり、さらにマスメディアとしてのラジオ、テレビが登場するという把握が一般的です。そして、その流れは、絶えずテクノロジーとセットになっています。
 しかし、他方で、人間が元来持っている身体を使ったり、直接に相対して言葉をかわしたり、表情による伝達が、テクノロジーの進歩にも抱わらず、いやそのゆえにこそ、重視されるということも日々、経験しています。つまり、うわさや流言、あるいは落書き、さらにはパロディなどのもつ効用が見逃せません。コミュニケーションにおける表街道と裏街道、というと既に評価を含んでしまいますが、双方に目配りしたようなメディア史の方法は、まだ確立できていないでしょう。
 ただ、それはそのとおりですが、しかし、先行するメディアが、新しいテクノロジーにとってかわられるということは、今までのコミュニケーションの拠点の配置や連関性が変わってくることになります。そういう「場の変わり方」の追究こそ、メディア史と言ったときの基本的な課題ではないか、と思ったりします。

 土屋 今の場の変化というところは非常に重要で、その変化を記録するというのは実はなかなか難しいわけです。例えば映画が無声映画から音声のトーキー映画に変わったときに、何の場が変わったのかというのをこの年表で表現するのはとても難しい。新しいテクノロジーが出てきただけでは場は変わらないのだけれども、それが何かと関係して何かが変化する。ここをとらえるのが非常に大きな課題だと思いますし、執筆者が、結構苦しんでいるところだと思います。

 成田 はい。しかし、そうであるがゆえに、年表という形式をとられたのだとも思います。本年表は、アウトプットの形式であるとともに、方法的な構えともなっているということです。つまり、今までは新聞は新聞、映画は映画、テレビはテレビと、縦割りで論じられてきました。縦割りだと、いくら「場」の構成―メディア間の関係を探ろうとしても難しい。それでは、いったんそういう縦割りというものを壊してしまえ、年表という形にしたらいろいろ読み取ることが可能であろうという戦略として提供された、と。

 土屋 方法としての年表として考えてもらえるのはすごく面白いし、そうであってほしいなと思いますね。ある人から言わせるとバラバラにメディアの事象が並んでいるだけと思われるかもしれないのですが、メディアの動きが、「あ、これは同じ年にあったのか」という、意外な取り合わせ、そういう場が構成されていたことを、同時代的に読み取ってもらうことは、大事なことだと思います。それはメディアの研究にとっても大事なことだと思います。
 私が勉強してきた新聞史だと、新聞社の中の通信部分のやり方が変わってきたと記述されるわけですが、それは一方では通信社のあり方と通じているわけですし、そのような連関がもっと具体的に見えてくるといいなと思っているのです。

次頁へ続く

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