安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社
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お知らせ(現代語訳 小右記)

摂関政治最盛期の「賢人右府」藤原実資が綴った日記を待望の現代語訳化!
藤原道長・一条天皇・紫式部らの生きる宮廷社会、平安時代の政務や宮中儀礼などが、千年の時を超えて鮮やかに甦る!

現代語訳 小右記 全16巻

刊行中!

倉本一宏編

四六判・上製・カバー装・平均280頁
各巻本体予価2800円~3200円(税別)

摂関政治最盛期の「賢人右府」藤原実資。宮中の政務や儀式の様子を60年以上にわたり詳細に綴った日記『小右記』が現代語訳で初めて甦る。道長・一条天皇・紫式部らと関わりながら政務に携わる姿や、公卿への批判、我が子への愛情など、一個人としての心情も垣間見え貴重。用語解説・系図・関連地図などを付載した、平安時代史研究に必備の記録。

〈第4回配本〉 最新刊発売
第4巻 敦成親王誕生
寛弘2年(1005)4月―寛弘8年(1011)12月
2800円(税別) 978-4-642-01819-7


【シリーズ特色】
平安時代を身近にする、はじめての現代語訳
藤原実資が日々の政務や出来事を漢文で綴った日記、『小右記』。現代のわれわれが読もうとしても近づき難かったその全文が、誰でも読める現代語で初めて甦る。

読める、わかる、面白い。原典に触れる第一歩
宮中の政務や儀式の様子が詳細に記され、実資の在世当時にも公卿たちに読まれていたという『小右記』は、平安時代史研究の最重要史料といえる。現代語訳による内容の理解は、原典に取り組むための第一歩となるだろう。

摂関期の宮廷社会がリアルに甦る
残存している貞元2年(977)から長久元年(1040)までの記事を、大日本古記録を底本に全16巻に編成。藤原道長・一条天皇・紫式部など、摂関期の著名な人物と関わり合いながら政務や儀式をこなす姿や、平安京での生活の様子がありありと見えてくる。

『小右記』とその時代を知る豊富な手引き
第1巻の巻頭では実資と『小右記』の来歴を解説。また各巻で収録時期の政治情勢と実資自身の動向を紹介する。記事一つ一つの背景や、宮中の人間関係が明確になる。

本文の理解を助ける用語解説・人物注を完備
本文に見える歴史用語、地名、人名を平易に解説。歴史辞典がなくても、『小右記』はもちろん、平安時代の理解がいっそう深まる。

多様な年譜・系図・地図を付載
『小右記』の理解に必要不可欠な年譜・系図・関連地図・内裏図や、実資の邸宅である小野宮復元図などの図表を付載。本文と照らし合わせると、実資がいつ、どこで、誰と、何をしたかを具体的に思い描くことができる。


 【全16巻の構成】 ※半年ごとに1冊ずつ、巻数順に配本中

第1巻 三代の蔵人頭 貞元2年(977)3月―永延2年(988)12月
〈発売中〉 2800円(税別) 978-4-642-01816-6
円融・花山・一条天皇に蔵人頭として仕える若き日の実資。相次ぐ譲位に際し、関白頼忠・摂政兼家らと連携して政務や儀式に奔走する。その一方で、昇進をめぐるわだかまりや、娘の病気治療の苦心などを日記に綴った。

第2巻 道長政権の成立 永祚元年(989)正月―長徳元年(995)10月
〈発売中〉 2800円(税別) 978-4-642-01817-3
一条天皇に対して政治介入する円融上皇と摂政兼家との連絡にあたる実資。やがて参議に任じられ、待望の公卿に上る。兼家・道隆・道兼と続く執政者たちの死。伊周側の策動も空しく、政権の座は道長の手に収まった。

第3巻 長徳の変 長徳2年(996)正月―寛弘2年(1005)3月
〈発売中〉 2800円(税別) 978-4-642-01818-0
勢力失墜に焦る伊周と中関白家。ついに不敬事件を起こし左遷される。検非違使別当の実資はその間の一条天皇と道長の動きを詳細に記録。また、長女彰子を一条天皇の女御とした道長は、続いて中宮に立てようとする。

第4巻 敦成親王誕生 寛弘2年(1005)4月―寛弘8年(1011)12月
〈最新刊発売〉 2800円(税別) 978-4-642-01819-7
一条天皇の中宮彰子は待望の皇子を相次いで出産するものの、天皇に残された時間は少なかった。定子所生の敦康親王ではなく敦成親王を東宮に立てて崩御。三条天皇の代となり、実資と道長にも新たな時代が訪れる。

 
第5巻 紫式部との交流 長和元年(1012)正月―長和2年(1013)6月
娍子立后をめぐって対立する三条天皇と道長。実資は「天に二日無し」といって立后の儀を主宰する。道長と彰子の確執も表面化し、実資は彰子と頻繁に接触する。その間の取り次ぎ役を担ったのが、かの紫式部であった。

第6巻 三条天皇の信任 長和2年(1013)7月―長和3年(1014)12月
眼病を発(おこ)した三条天皇に対し、道長をはじめとする公卿層は退位を要求。天皇は実資を頼みとするが、養子資平の任官も考えなければならない実資にとっては悩みの種であった。日記にも緊迫した情勢が記される。

第7巻 後一条天皇即位 長和4年(1015)4月―長和5年(1016)2月
敦明親王を東宮に立てることを条件に、三条天皇がついに譲位し、道長外孫の後一条天皇が即位する。外祖父摂政の座に就いた道長に対する実資の眼差しや如何に。国母となった彰子の政治力についても詳細に記録する。

第8巻 摂政頼通 長和5年(1016)3月―寛仁元年(1017)12月
道長は早くも摂政を長男の頼通に譲り、「大殿」として君臨する。一方、三条院が崩御すると敦明親王は東宮の地位を降り、道長は彰子所生の敦良親王を新東宮に立てる。道長家の栄華に対し、実資の批判的な記述が続く。

第9巻 「この世をば」 寛仁2年(1018)正月―寛仁3年(1019)3月
道長三女の威子が後一条天皇の中宮に立ち、「一家三后」という形で道長の栄華が頂点を極める。その宴席で和歌を詠むことを求められた実資は、道長の詠んだ「この世をば」を皆で唱和しようと提案。その胸中や如何に。

第10巻 大臣闕員騒動 寛仁3年(1019)4月―寛仁4年(1020)閏12月
無能な左大臣顕光が辞任するという噂が駆けめぐる。代わって大臣の地位を得るのは、これも無能な道綱ではなく自分であると確信する実資は、情報収集に全力を傾ける。刀伊(とい)の入寇をさておいての騒動であった。

第11巻 右大臣就任 治安元年(1021)正月―治安2年(1022)12月
道長六女の嬉子が東宮敦良親王の許に入侍し、道長が無量寿院(後の法成寺)の造営に専心しているという情勢の中、実資はついに右大臣に上る。「賢人右府」の誕生である。案外に素直に喜ぶ実資の姿が浮かび上がる。

第12巻 法成寺の興隆 治安3年(1023)正月―治安3年12月
道長の造営する法成寺が完成に向かう一方で、顛倒した際に頬に腫物を生じさせてしまった実資は、その治療に奔走する。さまざまなルートからいろいろな治療法を聞き出し、加持や夢想によってその効果を探ろうとする。

第13巻 道長女の不幸 万寿元年(1024)正月―万寿2年(1025)8月
道長の望月の栄華は、確実に欠け始めていた。小一条院女御の寛子、敦良親王妃の嬉子が、相次いで死去したのである。各所から情報を仕入れ、その意味を読み解こうとする実資。その先に何を見ていたのであろうか。

第14巻 千古の婚儀頓挫 万寿2年(1025)9月―万寿4年(1027)6月
実資が鍾愛して「かぐや姫」と通称され、小野宮や荘園・牧を譲った女(むすめ)千古の婚姻をめぐって奔走する実資。道長男長家との婚儀は、さまざまな公卿の思惑もあって頓挫する。なお、千古は後に藤原頼宗男の兼頼と結婚する。

第15巻 道長薨去 万寿4年(1027)7月―長元2年(1029)9月
三条天皇中宮であった姸子に続き、道長もいよいよ最期の時を迎える。その容態の情報収集に余念のない実資は、道長の死に対してどのような感慨を懐(いだ)いたのであろうか。そして、関白頼通にとっても新たな時代が始まる。

第16巻 部類記作成開始 長元3年(1030)正月―長久元年(1040)11月
『小右記』六年分を養子の資平に遣わした実資たち小野宮家は、いよいよ『小右記』を使用した部類記の作成を開始する。『小右記』の日次(ひなみ)記(き)をばらばらに切ったものの、実資薨去により計画は頓挫。日記も幕を閉じた。


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