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お知らせ(『天皇の美術史』刊行記念鼎談(127号))

PR誌本郷第127号収録
『天皇の美術史』刊行記念鼎談

美術史の魅力と愉しみ

 
髙岸 輝
たかぎし あきら
1971年、アメリカ合衆国イリノイ州生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。現在、東京大学大学院人文社会系研究科准教授。主要著書=『室町王権と絵画―初期土佐派研究―』、『室町絵巻の魔力―再生と創造の中世―』など
橋本麻里
はしもと まり
1972年、神奈川県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。日本美術を領域とするライター、エディターとして活躍。明治学院大学非常勤講師、永青文庫副館長。主要著書=『京都で日本美術をみる 京都国立博物館』など
五十嵐公一
いがらし こういち
1964年、愛知県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。現在、大阪芸術大学教授。主要著書=『近世京都画壇のネットワーク』、『京狩野三代 生き残りの物語―山楽・山雪・永納と九条幸家』など

 

美術との出会い

――本日は来年1月から刊行開始する『天皇の美術史』の企画編集委員である髙岸先生と五十嵐先生、そして今、テレビや雑誌などでご活躍中の橋本先生にお越しいただきました。まずは、先生方が美術に携わるようになったきっかけをお聞かせ下さい。

 髙岸 もともと僕はデザイナーの仕事に憧れがあったんです。


 橋本 そうだったんですか!

 髙岸 美術と歴史とはずっと好きだったのですが、高校卒業となると進路を決めなければいけない。そのとき文系・理系という分け方に収斂されることがすごく嫌で、ハタと見ると芸術系という部門が(笑)。

 橋本 第3の道ですね。

 髙岸 はい、芸大に行きたいなと思って。一番やりたかったのは車のデザイン。イタリアの工業デザイナー、ピニンファリーナとかジウジアーロとか、本当はそちらに行っているはずだったけど道を外して…。


 五十嵐 初めて聞きました(笑)。私は美術にまるで興味がなかったのですが、たまたま高校3年生のときに読んだ高階秀爾先生の『名画を見る眼』(岩波新書)が面白かった。絵画に意味や歴史があることを知ってからです。

 橋本 髙岸先生はそんなに早くからデザインに関心を? 早熟ですね。

 髙岸 子どものときから図工に得意意識があって。

 橋本 五十嵐先生は見る方だった?

 五十嵐 何も作れません(笑)。作っても「よく頑張ったね」という感じ。

 髙岸 今でも作る側にいた自分というのを常に思い描いてしまうんですね。

 橋本 あったはずのもう1つの人生…。

 髙岸 今ごろ僕の車が走っていたかな、とか思います(笑)。

 五十嵐 美術史でそういう人はいるかな。

 髙岸 結構、実技崩れという。

 橋本 実技崩れ(笑)。

 髙岸 芸大は多いと思います。第1巻の増記隆介さんは東大ですが実技も。

 五十嵐 日本画を描いていたそうですね。

 髙岸 橋本さんはどうですか。

 橋本 私も図工は好きでしたが、美術に深い関心はなかったですね。私の場合、研究者だった伯父の影響で文化人類学に興味を持っていましたが、ベルリンの壁崩壊や天安門事件があった時期で、つい浮気をしてICUに入学、国際関係を勉強したんです。国連機関に就職しようと考えていたのですが、結局また文化人類学に引き返して、双墓制(両墓制)をやりました。

 髙岸 まだ美術の美の字も出てこない。

 橋本 卒業後、就職したのがいけばなと現代美術の二刀流の出版社だったんです。そういうものを仕事として扱っているうちに、美術や茶の湯などに関心を持ち始めて…。その後、独立したライターになったときに、現代美術と日本美術の両方について書く人がほぼおらず、両刀使いができるというので、いろいろな形で便利に使っていただくうちに、こんなことになっていました、という経緯です。

 

日本美術ブームの到来

 髙岸 2000年の少し前くらいから、日本の古美術研究や展覧会が変わってきましたよね。展覧会にはお客さんを入れなければいけなくなったし…。

 橋本 その変化のきっかけは何なのでしょう。いわゆる「日本美術ブーム」は、京都国立博物館(京博)の若冲展から、という言われ方をしますが。

 髙岸 その時期に博物館にいた五十嵐さんは肌で感じていた?

 五十嵐 新聞社の巡回展にはお客さんが来る。でも、自主企画展はお客さんが来ない。そういう状態が少し変わってきたように感じていました。

 髙岸 お客さんも展覧会の企画も変わった。昔は東博(東京国立博物館)本館の特別展でも閑散としていて、どこか「研究者しか相手にしていません」という構えがあったし、京博の常設展はそれが長く続いた。院生がギャラリーで学ぶには最高の環境でした。図録もアカデミックだけど、デザインは凝っていなかった。それが90年代の終わりぐらいに、京博の図録が急におしゃれになり始めた。

 五十嵐 デザイナーが入るようになったんだと思います。また、展示のデザイナーなんて昔はいなかったですよね。

 髙岸 94~95年くらいまでは、国立博物館の展覧会でも企画者の顔が見えた。それが今残っているのは京博?

 五十嵐 京博とは一緒に仕事をさせてもらったことがありますが、頑張っておられますよね。

 橋本 独立行政法人化以降の流れが、結果的に今、日本美術の展覧会に多くの人が足を運び、テレビ番組のコンテンツにもなり、という状況に結びついているのだとしたら、今の状況をプラスに、ポジティブに評価していいのでしょうか。

 髙岸 以前はアカデミックな組織運営だったとおもいますが、今は観客の目を強く意識していることが伝わってきます。日本美術がブームといわれているけれども、いつかは終わると思っています。だから今、ぎりぎりのところで美術館・博物館は努力しているのではないかと思うのですがどうでしょうか。

 五十嵐 これまでの様々な研究成果を吸い上げて展覧会を作っている。頑張って吸い上げているという状況ではないでしょうか。

 髙岸 例えて言うなら、昔は地下に石油はいっぱいたまっていたけど、吸い上げて地表に出すパイプが細かった。今はどんどん吸い上げているから、枯渇に向かわないか心配です。

 五十嵐 それを何とかしたいとう意図が、このシリーズにはあります。その鉱脈として権力、天皇に目をつけたわけです。

 橋本 これまで手をつけられてこなかった鉱脈だろうと。

 髙岸 天皇だけとか、権力そのものだけで日本美術を通史的に編むということは、今まで意外となかったのではないかと思います。

 

シリーズ誕生と伊藤若冲

 五十嵐 初めてこの話が出てきたのが、2011年8月。吉川弘文館から新しいシリーズを作るので、どうですかと声をかけてもらって。

 髙岸 私も五十嵐さんも吉川弘文館から単著を出していますが、これらの延長線上にある「権力と芸術」というのが、大きなテーマになるかな、と思いました。

 五十嵐 言い出しはどちらともなく。

 髙岸 とにかく一本筋を通したシリーズものがいいよねという話をし、考えられるキーワードは何があるだろうか、ということでしたね。

 五十嵐 最初は一人一天皇という方針があったのですが、影響力の強い天皇、そうでもない天皇がいて。

 橋本 濃い薄いがある。

 五十嵐 ええ。それで構成も大きく変わりました。

 橋本 大正までで終わらせたのは、あまりにも現代史に過ぎ、まだ研究の対象になり得ないからですか? その先にある現代の天皇と美術というテーマは、非常に気になります。

 髙岸 おっしゃるとおりで、美智子皇后は美術に精通されていて、皇族の方で研究者もいらっしゃいます。そして、今の美術館の現場に行啓される。

 五十嵐 美術館だけでもないですよね。

 髙岸 そういう方々が、広い意味での美術史にかなり重要な役割を果たしているという気はします。

 五十嵐 「展覧会に天皇がいらっしゃいました」というと、ニュースになりますよね。

 髙岸 その辺は橋本さんの方が(笑)。

 橋本 いや、よくは分からないのですが、権力と美術ということでいうなら、今の天皇にはいわゆる政治的な権力はない。かといって文化をつかさどる権威であるという立場でもない。彼ら皇族が美術に関わることを許されているのは、権力と関わらない分野だからということで、生物学を研究なさったり、美術館に行幸啓なさったりということなのかなと思うのですが、近代以前とは反転した状態にある現在の天皇と美術の関わりについては、やはり読みたかったところです。

 髙岸 2年前、三井記念美術館の「東山御物の美」展では会期末ぎりぎりになって行幸がありました。まさに室町時代の北山殿とか室町殿への行幸が再現されていて、本来、それは政治以外の何物でもなかったわけですが…。美術というのは文化の領域に属するということで、今の天皇が政治に関わることをうまく回避できる部分でもある。でもまったく政治的でないかといわれれば、そこは研究の余地がある問題という気はします。

 五十嵐 でも、この点は扱えなかったかな。全6巻を作るだけで精一杯でしたから。

 髙岸 もう少し歴史の検証を待ちたいところですかね。今やってしまうと、1次資料ではあるけれども、検証、研究した内容と言えるかどうか。各美術館で行幸啓をお迎えした方にインタビューをして、実際にどういうお言葉があったかなど、すごく知りたいですが。

 橋本 折々にいろいろな方からそのあたりの話を伺うと、面白いエピソードを話してくださるので、かなりあるはずです。

 髙岸 このシリーズがいったん終わって、その後新たに、という形があるかもしれません。

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 橋本 現在の日本美術ブームの中で、核になっているのは伊藤若冲ですが、その中でも最も愛され、人気の高いコレクションが御(ぎよ)物(ぶつ)の中にあるのも面白いですね。

 五十嵐 若冲は私が担当する第5巻の時代なのですが、出てきません(笑)。というのは、5巻は御所障壁画に注目したからです。御所障壁画は江戸在住の狩野一門が描くことになっていました。ところが1788年の天明の大火で御所が焼失し、それが変わります。御所再建は幕府の仕事だったのですが、その頃の幕府はお金がなかった。そこで御所障壁画制作を京都在住の絵師たちに任せたわけです。安くあがるからです。その際、土佐家と鶴沢家に京都在住の絵師たちをまとめさせた。その結果、土佐家と鶴沢家が注目される。京都の人名録である『平安人物志』では、天明の大火以前の序列トップは応挙、2番目は若冲です。ところが、天明の大火以降は土佐と鶴沢が最上位、それ以外の絵師がその下のランクになるんですよね。

 髙岸 面白いですね。

 五十嵐 18世紀後半、確かに応挙や若冲は、天明の大火以前の京都で大変な人気があった。ところが天明の大火で、新たな絵師の序列ができてしまう。それが京都の絵師たちの活動を、つまらなくしたのかもしれませんね。

 髙岸 つまらなくなったというと買ってもらえなくなるので(笑)。

 五十嵐 そうですね。言葉を選ばないといけないですね。

 髙岸 辻惟雄先生が「奇想の画家たち」を再評価し発掘した。発掘したということは埋めた人がいるわけで。

 橋本 埋まっていた状況があるわけだ。

 髙岸 その状況は、今までほとんど語られてこなかったわけです。掘り起こした人を評価すると同時になぜ埋まっていたのかを見れば、掘り起こしたことの価値も、もっと上がってくる。

 橋本 同じような事例は、文化の別の領域でもあったのでしょうか。秩序の回復といったらいいのか、ある自由な状況が、そうではない状況に移行する、ということが。

 五十嵐 ほかの文化はどうでしょうか。ただ、天明の大火は京都の大事件だったように思います。それまでの比較的自由だった状況を変える契機だったのではないでしょうか。

 髙岸 そうすると、今は天明の大火以後みたいな状況になっているのか…。

 五十嵐 ついでに言うと御所障壁画を描く絵師は登録制だったんですよね。絵師は登録業者。だから、今の公共工事のやり方と御所障壁画を描く絵師の選ばれ方というのはよく似ているんです。

 

天皇と美術

――各巻の内容、見どころについてお聞かせ下さい。まずは第1巻から。

 橋本 毎年この時期に奈良博で正倉院展が開かれていますが、天皇による文物のコレクションの始まりはあの頃からですね。

 五十嵐 後白河法皇がものを集めてきたことと、正倉院でものを集めたことを第1巻を担当した増記さんがなぞらえて論じているんですよね。そういう視点はものすごく面白いと思います。

 橋本 聖武天皇の妻の光明皇后が正倉院にコレクションを残した。そこには、例えば中華皇帝のコレクションを意識するような部分はあったのでしょうか。

 髙岸 少なくとも後白河の時代、北宋の徽宗の美術コレクションというのは、すでに日本で認識されています。

 橋本 憧れの対象になっているんですね。

 髙岸 第1巻でかなり明確になっていると思います。中華皇帝のコレクションと、権力とを直結させるような考え方は、古代国家の中で重要な役割を果たしていた、ということになっています。

 五十嵐 第1巻は扱う時代がすごく長い。よくまとめてくれたなという感じです。

 橋本 平安末の院政まで入っている。

 髙岸 実は鎌倉まで入っているんです。

 橋本 第1巻と第2巻は微妙に重なり合っているようですね。

 五十嵐 個性の強い天皇が出てくるので重なってしまうんです。

 髙岸 第1巻から第3巻までの要になっているのは後白河で。

 橋本 3冊共に出てくるのですね。

 髙岸 後白河の大仏開眼供養。源平合戦で焼けた後の大仏開眼で、最初の開眼のときに使った筆を正倉院から持ってきて、そこでちゃんとループするんだと。

 五十嵐 面白い点に注目したなあ、と思いました。

 橋本 完璧なページェントですね。

 髙岸 続く伊藤大輔さん担当の第2巻はシリーズで最初に刊行されるのですが、これがまた濃い1冊で。

 五十嵐 加須屋誠さんが、そのまま単行本になりそうな原稿を書いてくださった。ページ数は大幅にオーバーでしたが、全部もらわなければ損だと皆で判断しました。

 橋本 後白河・後鳥羽・後醍醐がいて、もうお腹いっぱいという感じで。

 髙岸 橋本さんからみても、14世紀はすごく印象の薄い時代というか…。

 橋本 美術の通史だと、南北朝はさらっとスルーされちゃうんですよね。

 髙岸 これまでの研究はいくつか山があって、その山から谷を埋めていくというやり方できてるから、仏教美術だと平安、鎌倉がひとつの山、次の山は桃山あたりの近世絵画。谷底の日陰になっていたのが14世紀。だから、鎌倉時代の絵巻・彫刻・仏画で、よくわからないものは全部14世紀に放り込んできたわけです。

 五十嵐 ところが、頼朝の神護寺3像の。

 髙岸 そう、あれで状況が変わったんですね。伝頼朝像が14世紀のちょうど真ん中だという話になって。

 橋本 あれは何年でしたっけ。

 髙岸 1345年が最初の2幅です。後のもう1幅が51年ごろですから本当に真ん中なんです。今まではほとんど注目されていない、分からないものを放り込んでおくブラックボックスみたいな。

 五十嵐 そう、ブラックボックスですね。

 髙岸 そういうところが14世紀だったのですが、後醍醐という強烈な帝王がいて、そのブラックボックスを後醍醐中心に見直すと、実は大変豊かな場所だと。僕は若冲の発見に匹敵すると思っているんです。辻先生の『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫)で18世紀が面白いと分かったとすれば、今回の第2巻で「南北朝、実はすごいよ」ということが、日本美術史でほぼ初めて分かったのではないかと思います。

 橋本 歴史の分野での南北朝、後醍醐ブームは昔からありましたよね。なぜそれが美術史に反映されなかったのでしょう。網野善彦さんのようなトリックスターがいなかったから?

 髙岸 文学でも『太平記』の研究はすごく盛んで、歴史では常にホットであり続けている14世紀が、美術史で注目されてこなかった理由というのは…。

 五十嵐 柱になる作品がなかったところに頼朝像が出てきたからではないでしょうか。

 橋本 やっと拠りどころになる、足掛かりになる作品が見つかった。

 髙岸 このインパクトはかなり大きいですよね。

 五十嵐 そんな第2巻が、最初の刊行というわけです。

 

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  髙岸 私が担当している第3巻。室町・戦国は、日本の歴史の中でも江戸と並んで天皇の権威が最も落ちてきた、最も存在感が希薄だったといわれている時代です。一方で、足利将軍や戦国大名、そして天下人が出てきます。金閣(北山文化)・銀閣(東山文化)や大坂城・安土城・聚楽第(桃山文化)が美術の象徴だったといわれるのですが、最近、歴史の研究を見ていても、彼ら武家側の支配者たちが天皇と深く関わり、公家社会と混然一体となっていくことが見えてきました。将軍と天皇が一体化し、ハイブリッド化していくことによって新しい武家政権は古典を手に入れ、天皇の側は古典を維持するためのお金を得た。お互いウィンウィンで、文化と経済、あるいは権威と生活、それぞれの交換が成し遂げられる時代です。戦国時代の天皇は、権力としては衰退の極みといわれていたけれども、すごく立派な書を書くんです。これには超然とした迫力を感じます。

 五十嵐 できれば書(宸(しん)翰(かん))を扱った章が、どこかに欲しかったですね。

 髙岸 宸翰というのは天皇自身がアーティストでもある。

 橋本 それこそ正倉院に入っているコレクションの中で、制作者の個人名が立っているものって書にしかありませんよね。日本で「美術」と見なされたものの始まりで、かつ天皇家のコレクションの中でも重んじられてきたのは書だと思うのですが、同時に彼らが書けば宸翰となる。そういう意味では、ぜひ書で1章を立てていただきたかったです。

 髙岸 鑑賞者、あるいはコレクターとしての天皇だけではなくて、制作者側の天皇という話ですね。天皇本人、あるいは宮中でさまざまな女性皇族たちが、実は絵を描いたり、飾り物を作ったりということで活動している。そのことの意味は結構大きかったことが、第3巻、第4巻で見えてきました。作り手の問題というのは、今回注目したポイントのひとつです。

 五十嵐 野口剛さん担当の第4巻、私が担当した第5巻で江戸時代を扱っているのですが、門脇むつみさんが注目したのが、江戸時代前期の大物である後水尾天皇。たくさんの子どもたちが描いた絵、書はどんなものかというのを論じてくれました。

 髙岸 野口さんの原稿は、琳(りん)派(ぱ)と天皇の関係をかなり深く追究しているので、これも画期的なものですよね。

 五十嵐 私は第4巻で、御所障壁画の通史を書きました。先ほど言ったように、天明の大火以前、江戸在住の狩野一門が御所障壁画を描いていました。彼らに注目して時間軸をつくったという感じです。続く第5巻は天明の大火以降。光格・仁孝・孝明天皇の時代です。少しマニアックになってしまったかもしれません(笑)。

 髙岸 いまだかつてない充実した史料です。

 五十嵐 どのような選考があって京都在住の絵師たちが御所障壁画を描いたのか、その実情を暴いたのが武田庸二郎・江口恒明両氏の論文です。そして私は、江戸時代の最後の天皇である孝明天皇について書きました。ペリーが浦賀に来てから急速に日本は変わるのですが、天皇の周りで美術は動いていったという話です。最後の第6巻は塩谷純さんの担当ですが、まるごと明治天皇に注目したという内容になっています。明治天皇が美術史に果たした役割はそれだけ大きかったということですね。

 髙岸 このへんは橋本さんもいろいろと。

 橋本 御真影の問題とかも含めて、問題山積ですね。

 髙岸 まさに現代に直結するような…。帝室博物館もそうだし。

 橋本 近代的な美術の制度がみんな天皇絡みでつくられていくという。

 五十嵐 最初の天皇の写真が隠し撮りだったと書いているのは第六巻でしたね。

 橋本 そんなことして大丈夫だったんですか(笑)。

 髙岸 今でいう盗撮(笑)。

 橋本 では、公に認められた御真影ではなくて。

 髙岸 それが民間で流布するという面白さですよね。伝統的な皇室だけれども、西洋的な技術や表現の受け入れ口にもなっているということです。正倉院からしてそうですが、ヨーロッパやアメリカも含め、広い意味で唐物受け入れの公式な窓口としての天皇、というのは全巻を通してのテーマです。さっき紹介しなかったけど、第3巻の黒田智さんの観点も大変面白い。安土桃山時代に後陽成天皇が地球儀を見たという話です。そのことの象徴的な意味。

 五十嵐 黒田さんが書いてくださった章は刺激的ですよね。

 髙岸 先ほどの加須屋さんの14世紀論というのも、初めてだけれども、黒田さんの16世紀論というのも、初めて全部まとめて論じています。ありとあらゆる江戸の美術のベースになっているものは、16世紀に出そろうわけですが、その辺の問題を地図まで含めて見ています。

 五十嵐 秀吉が大坂城で持っていた書画リストの新出資料があるんです。

 髙岸 結構、東山御物が流入していることとか。

 橋本 そういう意味で、茶の湯は1つ大きな受け皿だったと思うのですが、武家に好まれた墨蹟中心の掛け物に、歌(うた)切(ぎれ)が入ってくるのも16世紀です。

 髙岸 和物もそこから再評価ですよね。

 橋本 貴族、公家たちが持っていたものが使われるようになる。そして、それに価格がついていく。

 髙岸 細川家もずいぶんと、その価値付けの問題とはかかわっていますね(笑)。

 橋本 価値の「創出」は重大です。公家にも切実な貧乏脱出作戦ですから。

 髙岸 信長にとって茶道具などを蒐集、強奪、展示、下賜する最大の理由は由緒だと。どこかの戦いで城を陥としたときに、こういう大名からこれを奪ったんだということを茶室で語りたいために、そこにポンと置いておく(笑)。そして茶室に来た人とのファーストコンタクトで、「いやこれ、最近手に入れて。このあいだ松永弾正がね」と語るような、極めて生々しいものですね。

 橋本 ということは、モノそのものの価値というより、物語消費。

 髙岸 だから、由緒書きというものをとにかく信長は必要とした。またそれを書く専門のライターが、この時期につぎつぎに出てくるわけです。

 橋本 それこそ今の歴史学における信長の描き方というのでしょうか、信長がどういう目的をもって彼の戦いを戦っていたのか、その見方が近年大きく変わってきていますよね。そういうあり方とも…。

 髙岸 深く関係してきますね。安土城も茶道具もそうですけれども、視覚的な形になったものを信長がどう活用したかということがかなり明確になった。それを秀吉は、忠実にトレースをしている。そういう意味ではいい師弟関係、2人で1つみたいなところがあります。

 橋本 権力と美術。でも信長の、弱体化する天皇とその秩序を守る将軍、そして将軍を支える自分、というあり方と、その由緒書き主義みたいな感じは、すごくシンクロしていると思いました。

 五十嵐 秀吉は無邪気に天皇に近づいていったように見える。信長は利用するために天皇に近づいているけど、秀吉は近づいていって官位をもらったり、関白になったり、天皇を聚楽第に呼んだり…。

 髙岸 そういう無邪気さが許されるだけの天下の安定と、莫大な経済力が。一方、家康はそこから一歩引いてかなり慎重にやっていた。

 五十嵐 家康は鎌倉幕府をサンプルにして、京都から離れたところに幕府をつくったから、どっぷりではなかったんでしょうね。江戸から天皇をコントロールするというやり方ですよね。

 髙岸 後白河が持っていた絵巻を、源頼朝は見せてやるといわれたのにあえて断ったという有名なエピソードがありますね。おそらくそれを地でいったのは家康だったと思います。実は家康も結構、絵巻をコレクションしている。あの人は本が好きだから。

 五十嵐 そうすると、後水尾天皇が後白河の役割かな。

 髙岸 本人たちが意識するしないにかかわらずなぞってしまっていたんでしょうね。

興奮と期待と

――最後に本シリーズについて一言ずつお願いします。

 五十嵐 どの執筆者の方にも、少しでも新しい史料を加えて何かしようという姿勢があったような気がします。ありきたりの通史の本にはなっていません。そんな点を理解していただけると嬉しいですね。

 髙岸 企画編集委員として各原稿の最初の読者として接する幸運に立ち会っているのですが、皆さんいろいろな意味ではみ出しています(笑)。ですから、問題作がたくさん詰まっていて、五十嵐さんがありきたりではないと言った意味は、そこですね。まったく新しい切り口をひとつ設定するだけで、美術史の叙述がかくも豊かになるのかという新鮮な驚きというか。

 五十嵐 皆さんの原稿を読んで興奮しました。

 髙岸 興奮と同時に、打ちのめされるんですよ。すごい書き手のものを共著として読んでしまったときの、「やられた」という感じを今回は何度も味わいました。

 五十嵐 サラッと美術史を勉強しようという方には違和感を与えてしまうかもしれないけれども…。

 髙岸 本シリーズに出てくるさまざまなストーリーは、今後、美術館で学芸員の皆さんが企画をされるときの種になると嬉しいです。

 橋本 今日お話を伺って、14世紀の問題、16世紀の問題など個別に読みたいテーマもたくさんありましたし、同時に天皇という切り口を作ったことで見えてくるものもさまざまにあるように思います。単に美術史の問題として終わるのではなく、読み手自身がそこから、権力とは何かという問題意識を持つこともできるはず。政治史であったり、もう少し大ざっぱに日本史といってもいいですが、そちらの方面からではなかなか見えにくい日本の権力のあり方のようなものが、このシリーズを通じて明らかになってくるのではないか、という期待がありますので、そういう意味でもとても楽しみです。

――本日はありがとうございました。

(2016年10月29日)

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