歴史学を中心とする、人文図書の出版
実資たち小野宮家は、いよいよ『小右記』を使用した部類記の作成を開始。実資薨去により計画は頓挫し、日記も幕を閉じた。
道長は最期の時を迎える。容態の情報収集に余念のない実資は、道長の死にいかなる感慨を懐いたか。関白頼通にとって新時代が始まる。
実資は鍾愛した女、千古の婚姻をめぐって奔走するが、道長男長家との婚儀は、公卿の思惑もあり頓挫。千古は後に藤原兼頼と結婚する。
小一条院女御の寛子、敦良親王妃の嬉子の死で、道長の栄華は欠け始める。実資は各所から情報を仕入れ、その意味を読み解こうとする。
道長の造営する法成寺が完成に向かう一方、顛倒で頬に腫物を生じさせた実資は、治療に奔走。加持や夢想で効果を探ろうとする。
道長が無量寿院の造営に専心する中、実資はついに右大臣に上る。「賢人右府」誕生である。案外に素直に喜ぶ実資の姿が浮かび上がる。
無能な左大臣顕光が辞任する噂が駆けめぐる。代わって大臣の地位を得るのは自分であると確信する実資は、情報収集に全力を傾ける。
「一家三后」という形で道長の栄華が頂点に。その宴席で実資は、道長の「この世をば」を皆で唱和しようと提案。その胸中や如何に。
道長は摂政を頼通に譲り「大殿」として君臨。三条院が崩御すると敦良親王を新東宮に立てる。道長の栄華に実資の批判的な記述が続く。
三条天皇が譲位し道長外孫の後一条天皇が即位。外祖父摂政に就いた道長への実資の眼差しや如何に。国母となった彰子の政治力も記録。
眼病を発した三条天皇に道長らは退位を要求。実資は天皇に頼みとされるが彼には悩みの種であった。日記にも緊迫した情勢が記される。
娍子立后をめぐり対立する三条天皇と道長。道長と彰子の確執も表面化し、実資は彰子と接触。その間の取り次ぎ役が、紫式部だった。
一条天皇の中宮彰子は待望の皇子を相次いで出産するものの、天皇は崩御。三条天皇の代となり、実資と道長にも新たな時代が訪れる。
伊周と中関白家は不敬事件で左遷される。検非違使別当の実資は一条天皇と道長の動きを記録。道長は長女彰子を中宮に立てようとする。
円融上皇と摂政兼家との連絡にあたる実資は待望の公卿に上る。兼家・道隆・道兼、執政者たちの死で政権の座は道長の手に収まった。